2006年10月15日

 

綴り字のシーズン」<BEE SEASON>

2005年/アメリカ 

監督:スコット・マクギー/デヴィッド・シーゲル 

主演:リチャード・ギア/ジュリエット・ビノシュ

 

を観て感じたことがあった。それは、「自由」の捉え方だった。


 リチャード・ギア扮する宗教学者ソールには、妻のミリアムと大学生の長男のアーロン、11歳の長女のイライザがいる。幸せそうにみえる家庭にも、実は奥深いところでほころびが生じていた。イライザは父の愛情が優秀な兄へと注がれていると感じており、妻は夫からの何がとはいえないが、何か重苦しい束縛感を抱いていた。ソール本人にしてみれば、そんなつもりはまったくないところに根深い問題があった。そんな中、イライザが学校のスペリングコンテストで優勝し、ソールの関心は急激にイライザへと傾いていく。アーロンは父の目から自分が薄らいでいくこと、そしてイライザへの半ば強制的な地区大会、全国大会でのコンテスト優勝への猛勉強をさせる態度に対し、あるカルト宗教へと入り込み父に反発し無言の抗議を続ける。
 

 イライザはアーロンの気持ちを理解している。自分自身が兄を苦しめていると自責の念にかられ悩み、この結果を招いた父への反抗としてラストにあることを実行する。ミリアムは二人の子供たちの気持ちを理解してはいるもののソールにはいえない。ましてや、彼女がソールに対し抱いている本当の気持ちを伝えることなど到底できなかった。また、彼女には誰にもいえない秘密もあり、そのことが彼女をよりいっそう苦しめることになる。
 

 ソールは無意識のうちに、しかし心の奥深くでは確信的に自分自身を学者としても夫としても、そして父親としても高く自己評価していたのだろう。そのポイントの高い彼自身が、妻や子供たちを束縛するはずもなく、ましてや締め付けや抑圧などをして苦しめている、そんなことに考えが及ぶはずもなかった。しかし、彼の気づかないところで、緩やかではあるが濃厚な圧力、つまり自身のやり方を日々の生活の中で無意識ではあるが、かなり恣意的に彼らたちに押し付けていた。
 

 彼は、彼自身が洗いものやごみを捨てるよき夫、勉強をサポートするよき父でいるということが家族の満足と捉えているのだが、これは彼自身の一方的な考えに過ぎない。彼自身が満足いくように家族に関与していたに過ぎない。彼自身の家族への自由な振る舞いは、家族にも自由に振る舞うようにとのメッセージであったのだろう。そこに彼から家族への一方的な与える自由が生じていたことに彼は気づかなかった。ましてや、彼は家族たちも自由を感じていると見誤った。彼が与えた自由に家族たちは従い、与えられた自由を享受していると思った。だが、その自由は彼自身の満足のために彼自らが独創したものであり、家族への強制を強いる無言の力を秘めた自由であることを家族はわかっていた。家族からすれば彼の考えによる自由に相当する表現は、「与えられた偽善的独善的自由」、つまりただの強制理解と呼べたに違いない。
 

 ラストではソールの考える自由に対して、イライザは自らの意志をもって打ち砕く。それは結果として傍からみればいいできごとではない。しかし、イライザにとって虚飾であった与えられた自由の生活を自らの手で放棄したものであるならば、また、それによって家族全員が真の意味で再び集うことができるならば、それこそが真の自由であり、偽りのない家族の結束となる。

 1925年にスタートしたスペリングコンテスト(National Spelling Bee)は、英語圏の子供たちが英語スペルの習熟度を競うもので世界規模にて開催される。各学校、各地域、各州の予選を勝ち抜いてきた少年少女が、毎年2日間に渡る最終選考へと挑みテレビやラジオのでも報道される。ちなみに優勝賞金は1万ドル。
 「National Spelling Bee」サイトには今年の結果が問題とともに掲載されていたので、そのうちの1パートを記載する。実際の試験は、出題者が読み上げる単語の発音を聞いて、勝ち抜いてきた出場者がそのスペルを一文字ずつ発音し答える。下記の単語は今年の大会で出題されたものの一部だが、英和辞書で調べても載っていないものが多々あった。
 
2. gobemouche

3. Galilean

4. chiragra

5. Bildungsroman

6. terrene

7. cucullate

8. synusia

9. towhee

10. Shedu

11. hukilau

12. clinamen
13. recrementitious

14. psittacism

15. aubade

16. kanone

17. izzat
18. tmesis

19. kundalini

20. Ursprache