2004年11月2日

 

ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」<THE LIFE OF DAVID GALE>

2003/アメリカ 

監督:アラン・パーカー 

主演:ケヴィン・スペイシー/ケイト・ウィンスレット

 

を観た。

 作品は冤罪を前面に打ち出しではいるが、この作品のテーマは「人間の信念」だろう。演技派であるケヴィン・スペイシーの起用、そして冤罪という題材からしても、是非観たい作品だった。だが、何か違和感が残る作品だった。
 テキサスにある大学の哲学科で教鞭を執るデビッド・ゲイルは、死刑制度反対の活動をしている。彼は妻と息子を愛する良き父親でもある。しかし、彼は今、死刑が確定し執行日を待つ身となっている。その理由は、死刑反対運動の同僚女性へのレイプと殺人罪だった。執行3日前になり、突然デビッドは、人気誌の女性記者を指名し、多額の報酬と引き替えに残りの3日間での独占インタビューを許可する。しかし、取材を続けるうちに彼女はデビッドの冤罪を確信するにいたり、徐々にその真実に迫っていく。作品概要はこんなところだ。
 違和感を覚えたと書いたが、彼のとった行動は、あまりにも現実からかけ離れていた。だが、彼がなぜこのような行動に出たかの伏線は、きちんと描かれている。よき夫であり父である彼にとっては、ある出来事が死ぬよりも辛かったことは理解できる。また、彼が殺害したとされる女性は、病魔のため生きられる時間が長くはないこと。そんな伏線から、この二人には互いへの崇高な尊敬心、そしてまじめ過ぎるほどの人生観に対する、互いへの賛美があったであろうことも容易に想像がつく。しかし、それでも僕のあの結末に対する違和感は、なおも消えることはない。
 僕には、常人をはるかに超えてしまったような彼らの真摯な思考と行動は、嘘っぽくしらけて見えてしまった。今回、僕がこの作品に違和感を覚えたのは、まさに彼らの思想や行動が、人間を超越してしまったように描かれていたからだったと感じている。とは言え、信念を貫き通す人間の気高さに僕が惹かれたことは事実であるし、また、冤罪が起こる可能性をこのような方法で演出したことによるアイデアに感嘆したことも、また事実である。
 今月14日、米司法省が発表したまとめによると、米国内での死刑言い渡し件数は2001年から3年連続で減少し、2003年は144件と、死刑が再開された77年以来最少にとどまったということだ。これはアメリカで死刑反対の動きが高まっている影響との見方もあるようだ。統計によると、2003年には25州で144人に死刑が言い渡されている。これは2002年より24人少なく、94年から2000年までの平均297人に比べると半分以下の数字だ。米国内では2003年、イリノイ州のライアン知事(当時)が、州内の死刑囚のうち、4人の特赦を決定し、残る167人を全員減刑にしている。この影響で、全米の死刑囚は前年から276人減って3374人になった。1976年以降では最大の減少幅を記録した。 死刑廃止を主張する米民間団体「死刑情報センター」のディーター事務局長は死刑言い渡しの減少について、「冤罪などへの懸念が高まり、陪審員らが死刑に慎重になっているため」との見方を示している。また、陪審員への説明で、死刑の代わりに仮釈放なしの終身刑を選択できるとの提案を義務付ける州が増えたことも影響しているという。一方、死刑推進派は「数字上の変化に大きな意味はない」と主張している。 2003年に死刑を執行されたのは65人で、テキサス州が最も多く24人だった。また執行前に死亡したのは10人で、うち4.人が自殺だった。
 この発表にもあるように、テキサス州は、死刑執行人数が全米で一番多い州である。そう、この作品の舞台はテキサスだった。そんなリアルな背景があるからこそ、このような脚本が生まれたのだろう。作品としては違和感は確かに残ったが、ドラマとしては重厚で細部にわたりよく練られた一流のものであった。これが、この作品に対する僕の感想である。