2004年11月23日

 

 街を歩いていると、ふと映画を思い出すことがある。
 例えば、駅の放置自転車の光景を見ると、「自転車泥棒」が頭をよぎる。僕の最寄りの駅には、相当数の自転車を収容できるスペースがある。また、そこには係員もいる。ところが、そのスペースに駐輪せずに、一般道路の路肩に駐輪している人が複数いる。盗まれることもなく、雨に打たれ放置されたままの自転車は後を絶たない。その場所で数週間引き取り手のない主人に見捨てられた自転車は、行政の回収車に無造作に積まれていく。まさに、物が溢れている使い捨ての時代の一面を見ることができる。

 

自転車泥棒」<LADRI DI BICICLETTE>

監督:ランベルト・マジョラーニ
主演:エンツォ・スタヨーラ/エンツォ・スタヨーラは、

 

は、1948年のイタリア作品だ。

 作品の背景は、第二次世界大戦後のローマで、混乱がまだ尾を引き失業者が街に溢れかえっているような時代だ。6歳の息子ブルーノの父、アントニオは、映画のポスター張りの仕事をするために生活品であるシーツを質にいれ、自転車を購入する。そして仕事を始めるのだが、その自転車が盗まれてしまう。警察に行っても相手にされない。途方にくれやけになったアントニオは、他の人の自転車を盗んでしまい警官に捕まってしまう。しかし、ブルーノに泣いて頼まれた警官はアントニオを放免してくれる。ラストシーンは、アントニオがそんなことをした自分と息子への恥ずかしさに涙しながら、息子に黙って手を取られ、タ暮のローマの道に姿を消していく。こんな内容だった。まさに貧しさにより引き起こされた胸が詰まる悲しい物語だった。
 2003年、日本の自転車保有台数は8,593万台で、1.5人が1台を所有している計算になる。放置自転車の撤去状況を見てみると、2000年で約260万台となっており、その後の自転車の運命は、廃棄が全体の43%にあたる約111万台となっている。なお、返還台数は、138万台となっている。自転車の盗難について見てみると、2004年で約47万台となっており、刑法犯総数の17.1%を占めている(映画のように生活苦を克服する手段として盗難を行なう者はほとんどいないだろう)。今やママチャリ自転車の値段は、特売なら9,000円を割る。この値段で買えるなら、盗られてもまた買えばいいし、古くなったら捨ててしまい、また買えばいいや、と思ってしまう人が多いのだろうか。  

 

 最近では、携帯電話の所有率が増え、街の電話ボックスで電話をかけている人の姿を見かけることはめっきり減った。

 

フォーン・ブース」<PHONE BOOTH>

1948/イタリア
監督:ジョエル・シューマカー
主演:コリン・ファレル/フォレスト・ウィテカー

 

を観て以来、電話ボックスの中の人がキョロキョロしていると、もしかして、見えない犯人から脅迫を受けているのでは、なんて冗談で思ったりすることもある。

 主人公の私生活を知った姿を見せない犯人が、電話ボックスに入った主人公に、あれやこれやと命令し、もし従わないとライフルで狙撃すると脅迫する。犯人は、決して電話ボックスから主人公を出さない。そんな膠着状態が続く中、犯人は集まった警官に射殺される。だが、実際は…・・・。作品内容は、こんなところだ。この話には、無理が多く引き込まれることはなかったが、電話ボックスが舞台という発想は悪くない。ただし、なぜ犯人は主人公の私生活を事細かに把握しており、なぜあの電話ボックスに、そしてあの時間に来ることがわかったのか、等と疑問点がたくさん残った。


 ところで、 日本に公衆電話が始めて設置されたのは、1900年(明治33年)9月だった。場所は、新橋と上野駅構内で、自動電話と呼ばれた。その年の10月には、東京の京橋のたもとに電話ボックスが登場している。現在の「公衆電話」という呼称は、1925年から正式名称となっている。公衆電話の数で言うと、1984年には93万台あったが、2003年には約50万台と激減している。裏を返せば、携帯電話の普及がめざましい、と言うことだ。映画の中で、携帯電話の使用がストーリーの要、もしくは主人公のような役割を果たしている作品が増えてきているのは、普及台数の伸び率と決して無縁ではないだろう。