1995年12月13日

 1895年12月28目、パリのオペラ座近くにあるキャピュシーヌ大通り14番地にあるグラン・カフェの地下で、オーギュストとルイのリュミエ一ル兄弟がシネマトグラフをー般大衆に公開した。これが映画誕生の日とされている。その時に上映されたのは「列車の到着」「工場の出口」「水をかけられた撒水夫」等であった。
 時は流れ1995年本年は、ちょうど映画生誕100年にあたる。そこで今回は映画100年の歴史を追いかけていくことにする(参考資料:ROAD SHOW1995.5)。
 さっそく年代順に映画史をみていく。 

                                          
1896年、エディソンのバイタスコープがニューヨークで初公開される。
1902年、フランスのメリエスがトリック映画「月世界旅行」を発表。
1906年、アメリカでニッケルオデオンと呼ばれる初期の映画館が誕生。
1911年、ハリウッドに最初の撮影所が建てられる。
1915年、D・W・グリフィス監督「国民の創生」が公聞され、長編映画時代到来。
1918年(第一次世界大戦終結)、ヨーロッパの映画界は衰弱。

      一方ハリウッドが世界の映画 の都となる。
1922年、チヤップリン、キートン、ロイドのコメディー映画が全盛を極める。
1927年、ワーナーの「ジャズ・シンガー」が大ヒットし、

      世界の映画界はトーキーの道を歩み始める。
1929年(世界恐慌)、第1回アカデミー授賞式が行われる。
1932年、ベネチア映画祭が始まる。
1937年(盧溝橋事件が起こり日中戦争始まる)、ディズニ一の初の長編アニメ

     「白雪姫」が大ヒット。
1939年(ドイツがポーランドを侵略、第二次世界大戦起こる)、「風と共に去りぬ」

     「オズの魔法使い」「駅馬車」「嵐が丘」「スミス都へ行く」等が制作され

      ハリウッド史上最も充実した年とされる。
1940年、チャップリンが「独裁者」でヒットラーを批判。
1941年(アメリカ参戦)、真珠湾攻撃により太平洋戦争始まる、オーソンウエルズの

     「市民ケーン」が公開される。
1943年、「カサプランカ」が話題になる。
1946年、カンヌ映画祭が始まる。
1947年、ハリウッドの赤狩りが始まる。
1951年、ベルリン映画祭が始まる。「巴里のアメリカ人」、オスカーを受賞し

      MGMミュージカルが頂点に達する。黒澤明監督の「羅生門」がベネチア映画祭で

      グランブリに輝く。
1952年、ニューヨークで「これがシネラマだ」が公開され、ワイドスクリーン時代の

      幕を開ける。
1953年(朝鮮戦争終結)、マリリン・モンローの人気が本格化。ロ一マの体日で

      オードリー・ヘップバーンが登場。
1955年、ジェームス・ディーンが自動車事故死。
1958年、イギリスでフリーシネマ運動。フランスでは「死刑台のエレベーター」等の

      ヌーベルパ一グ、ポーランドでは「灰とダイヤモンド」等の作品が公開され、

      新しい動きが活発化。
1960年、イタリア、フェリーニの「甘い生活」、ビスコンティの「若者のすべて」等、

      リアリズム派が台頭。
1962年、モンロー急死。「アラビアのロレンス」公開。007シリ一ズが始まる。
1964年、マカロニウエスタンの大量制作が始まる。
1967年、「俺たちに明日はない」等アメリカン・ニューシネマ台頭。
1972年、チヤップリンが、アカデミー特別賞を受けるため、20年ぶりに帰米。
1974年、「燃えよドラゴン」でカンフー映画ブーム到来。
1978年、「スター・ウォーズ」「末知との遭遇」で、SF、ファンタジーがハリウッド

       娯楽映画の主流になる。
                                                            

 1980年代も「レイダース 失われたアーク」「ET」「ランボー」「バック・トゥ・ザ・フューチヤー」等と映画界の活況が続き、1990年代も相変わらず僕たちを楽しませてくれる作品が次々に制作されている。
 駆け足の100年史いかがでしたか?次回は、年代を限定して諸々の作品を紹介していきたい。