1996年4月24日

 今回は予定を変えて、アカデミー賞について書くことにする。


 1996年第68回アカデミー作品賞は、メル・ギブソンが制作、主演、監督を兼ねた「ブレーブ・ハート」だっだ。この作品についてまだ観ていないのでコメントは差し控えることにする。残念だったのは、アカデミー授賞式が観れなかったことだ(昨年はTVで観ることができた)。しかも今回の総合司会は僕のお気に入りの女優、ウーピーだったのに。実に残念でならない。


 さあ、本題に入ろう。
 アカデミー賞は1927年に設立されたACADEMY OF MOTION PICTURE ARTS AND SCIENCEという組織によって開催されている。ハリウッド映画界で仕事に携わるプロテューサー、監督、脚本家、俳優等の代表として約2万入が所属している。その中でアカデミー賞の投票権を持つのは5干人だ。その5干人はそれぞれの専門分野でプロとして認められ、それまで優秀な仕事をしてきたという実績がなくてはならない、というのが会員の資格だ。
 

 では次にアカデミー賞の投票プロセスについてだ。それには2つのプロゼスがある。ノミネ一ションと最終投票だ。ノミネーション投票の段階では、映画を簡潔に選び出すために投票者たちは自分たちの仕事と同じカテゴリーの賞に対してしか投票できない。ただし、作品賞への投票は例外で5千人の全てのメンパーが投票できる。この後5千人の投票者たちが19全てのカテゴリーに投票できる最終投票があり、その結果が授賞式で発表されるのである。
 

 ところで、アカデミー賞にも表と裏があるようだ。例えばこの作品は誰が評価してもいい作品なのに賞を取れなかった、というのがやはりあるようだ。理由はいろいろあるようだが、ほとんどが、あいつは気にくわない、生意気だ、あいつの作品はヒットしてばがりでおもしろくない、などと、やっかみやいじめによるものがほとんどのようだ。まあ、とでも人問臭い理由のようだ。
 

 具体的には、1986年スピルバーク監督の「カラー・パープル」は6部門にノミネートされたにもかかわらず、一つも賞を取ることができなかった。これをSHUT OUT、締め出しという。SYMPATHY VOTEというのもある。ポール・ニューマンは1987年「ハスラ-2」で主演男優賞を取ったが、演技自体際立ったものはなかったにもかかわらず受賞したのは、彼のこれまでの映画に対しての相対評価であった。

 SWEEP、一掃というのもある。これは1本の映画が各部門を複数受賞し、なおかつ作品賞まで受賞してしまうことをいう。「フォレスト・ガンプ」6部門、「羊たちの沈黙」5部門、「ラスト・エンペラ一」9部門、などがそうだ。これはその年の映画のできがあまり良くないときに起きる。又、習慣として革新的なスタイルの映画は、あまり投票の対象にならない、ということもある。l968年の「2001年宇宙の旅」は賞を取れなかった。それは始まりから45分間、ひとことも台詞がないという制作スタイルが受け入れられなかったせいといわれている。こんな表と裏があるということを知って授賞式を観ると、また違った楽しみ方ができるのではないでしょうか。(参考資料:ROADSHOW1996.4)
 

 ちなみに、アカテミー第1回授賞式は、1929年5月で、この時の作品賞は「つばさ」だった。もちろん賞を取った人達には、あの決して大きくない金の像が手渡された。この時点ではこの像にオスカーという愛称はなかったそうだ。では、いつ頃から愛称がついたかというと、

 1930年代半ば以降のようである。アカデミー賞の事務所に勤めるある女性がオスカー像を見て、―あらく私のオスカーおしさんそっくりだわ―と叫んだのがこの愛称の由来だそうだ。このオスカーの制作コストを高いと思うか安いと思うかは皆さん次第ですが、コストは何と100ドル。
 さあ、皆さん、高いと思いますか?安いと思いますか?