1997年3月26日

 2月中旬、バンコクの郊外で炭疽病にかかった牛肉を食べて感染した患者がでた。
 炭疽病は地中にいる炭疽菌が牛や馬に肺血症を引き起こす。人にも感染し死亡率は高い。具体的には皮膚炭疽、肺炭疽、腸炭疽に感染する。日本では年間数人から20人程度だが、南欧、オーストラリア、米、アフリカでは多く見られる。尚炭疽病は法定伝染病ではなく、届出伝染病に指定されている。
 2月下旬、タイの保健省は狂犬病撲滅のため、全国の野犬の8割に不妊手術とワクチン接種を行う計画を発表した。狂犬病も炭疽病同様、届出伝染病に指定されている。狂犬病ウイルスに感染したキツネ、オオカミ、コウモリなどがウイルス保持者となり、咬傷によって犬や猫などの家畜、さらには人にも伝染する。発病後は興奮しやすく知覚過敏となり、致死率は非常に高い。現在狂犬病がないのは日本、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、スカンジナビア半島だけである。
 

 これらの感染症報道から、僕は95年に製作された

 

アウトブレイク」<OUTBREAK>
1995/アメリカ

監督:ウォルフガング・ペーターゼン

主演:ダスティン・ホフマン 

 

を思い出していた。
 この作品はバイオ・セイフティ・レベル4(国立予防衛生研究所が規定した危険度合いの最も高いレベルのウイルスで、人又は動物に重篤な疾病を越し罹患者より他の個体への伝播が直接又は間接に起こりやすいものをいう。


 コンゴ出血熱ウイルス/エボラ出血熱ウイルス/ヘルペスBウイルス/アルゼンチン出血熱ウイルス/大痘瘡ウイルス/ラッサ熱ウイルス/ボリビア出血熱ウイルス/マールブルグ病ウイルス/黄熱病ウイルスの9種類が、現在のところレベル4に指定されている)という最悪の危険性を持ったエマージング新種・ウイルスの一種、エボラ出血熱ウイルスをモチーフに、陸軍幹部のマクリントック少将が企んでいた生物兵器開発の脅威を描いていた。
 狂った人間がしかも国家規模でバイオ・セーフティ・レベル4のウイルスを相手国にばらまいたとしたら・・・想像しただけでも恐ろしい。

 1972年、生物毒素兵器禁止条約が調印され開発、生産、貯蔵、取得、保有が禁止されたが、実際は研究開発・生産ができる状態にあり、米国、ロシア、イラクなど約10ヶ国が生産・保有してると言われている。
 最近では1980年代、東南アジア、アフガニスタンで使われた、黄色い雨(トリコテセン毒素)がある。また現在新種兵器としての利用が懸念されているものに毒素兵器がある。これは生物が出す毒素を大量抽出して兵器とするもので、例えばボツリヌス菌を大量培養して散布すると、毒ガスと同じ効果とともに放射能のような持続性の汚染とが起こる。

 ここで具体的に生物兵器の種類を3つの区分から見てみる。

1.対人剤
・ウイルス黄熱/インフルエンザ/脳炎
・リケッチア(細菌とウイルスの中間のもの)発疹チフス/Q熱/オーム熱
・細菌赤痢/腸チフス/パラチラス/コレラ/ペスト/炭疽
・外毒素ポツリヌス
2.対動物剤
・ウイルス家禽ペスト/豚コレラ
・細菌炭疽
3.対植物剤
・細菌稲熱病
 このように分けることができる。

 ついでに化学兵器有毒化学剤を兵器として使用するものについても触れておく。
 歴史としては第一次世界大戦のイープル戦線から軍事目的で大量に合成して使用された。このときの効果に驚嘆した各国は開発に着手して、この大戦中に両陣営が使用した化学兵器は30種を越え、両軍の死傷者は130万人に達したといわれている。
 第二次大戦中もドイツのGガスジャーマンガス/タブン/サリン/ソマンの総称を始めとして多くの研究開発がなされたが大規模な使用には至らなかった。1993年化学兵器禁止条約が成立し、130ヵ国が調印した。しかし化学兵器は"貧者の核"と呼ばれるように、中小国にとっては魅力ある存在で、保有を望む国は依然として多い。

 では具体的に有毒化学剤の種類を見てみる。
 
1.神経剤
・タブン/サリン/ソマン・・・超速効かつ一時性。瞳孔が縮小、過度の発汗、筋肉痙攣
・VX・・・速効性とともに持続性もある。
2.びらん剤
マスタード・・・緩慢に作用するが、持久性がある。眼の充血、皮膚発泡、呼吸器も冒される。
・ルイサイト・・・速効かつ一時性。効果はマスタードに似ているが激痛を伴う。
3.血液剤青酸・塩化シアン・・・めまい、吐き気、呼吸困難、痙攣
4.窒息剤ホスゲン・・・吐き気、頭痛、呼吸困難の4つに分けることができる。
 特にサリンとVXガスはオームによるテロ行為があったので記憶に新らしい。

 今回は、炭疽病と狂犬病の話から生物、化学兵器に話題が飛んでしまい、映画のコラムを紹介できないまま紙面を終わることになってしまった。だが「アウトブレイク」を見ていたことによって僕はウイルスに少なからず関心をすでにもっていた。今回の内容を調べるために数冊の本を参考にし、少なくとも数時間を費やした。一つの作品がここまで僕の興味を喚起してくれたことは紛れもない事実だ。これが映画のいいところで、だからこそ観続けるのだ。