1997年6月25日

 

フオー工パー・ライフ」(The Road To Garveston)を観た。


 初老の黒人である未亡人ジョーダンが、借金から自分の農場を守るため、自宅を老人介護所にして白人3人のアルツハイマー患者の世話をするというもので、未亡人と患者、そして息子夫婦との絆を暖かく描いたものだ。
 ゲイルは一番症状が重く、口も聞けず無表情で車いすに座っている。ワンダはすぐ人のものを隠し、記憶はかなり退行しており、症状は第2期に入っている。アメリカ文学の教授であるジュリアはまだ初期症状ではあるが、物忘れと記憶の喪失が顕著になりかけており、その不安から逃れるためにアルコールなしではいられない。息子夫婦はというと、自分たちのことしか頭にない。そんな状況の中で、力になり理解してくれたのは盲目の友人リリーと孫のリトル・マーカスだけだった。
 物語の終盤、ジョーダンは夫との夢であったカルストンの海へ3人を連れていく。ジョーダンのいたわりの心が3人に変化を起こさせる。カメラは梅に向かって手をつないだ4人の後ろ姿をズームで捉え、その後4人を正面から捉える。ゲイルは海を見てジョーダンの手をギュッと握り、ワンダは昔の黒人の恋人の顔を思い出し、彼が今でも元気でいることを知り安堵する。ジュリアはディンズの一節を思い出し、絶望していた自分が間違っていたことに気づき、


―人生の終未に怒るなんて無意味よ。ただ生きるの―
と叫ぶ。そしてジョーダンは、


―やったわ、テディ。私は海に来たのよ。一緒に来たかった―
と鳴咽する。

 

 そこに息子夫婦が現れ、自分たちが問違っていたことを母親に告げた後、お互いの愛情を再度確認しあい強く抱き締め物語は幕を閉じる。
 アルツハイマーを扱ってはいるが、暗く陰湿な描写はせず、患者を患者として描くのではなく、あくまでも一人の人間として描いた作品だった。

 かつて日本映画でも老人性痴呆症を描いた「タンポポ」という作品があった。やはりアルツハイマーをとおして家族の絆を描いていたが、こちらはやけにアルツハイマーの症状が強調され、何か後味が悪かったのを覚えている。アルツハイマーという病気の恐ろしさをいたずらに増幅させ、見る側に不安だけを印象づけていたような気がした。


 アルツハイマー患者を抱えた家族の精神的、肉体的苦しみは相当なものであることは想像に難くない。僕らは、将来自分達に起き得るこの病を書物などを通してすでに知っている。それよりも大切なことは、症状の描写ではなく、介護といたわりの描写なのではなかろうか。病の実態を描くとによって、見る側に病のあれこれを認識させることは悪いことではない。だが、家族をとりまく環境、つまり、<回りの人の目>に家族そのものを<異物>なような目で見させてしまったら、地域介護はなりたたない。それは家族にさらに辛い思いをさせるのではないだろうか。描き方一つで、見る側に与える影響は計り知れないくらい大きい。
 
 アメリカでは年間10万人が、アルツハイマー型痴呆症によって死亡している。痴呆には「脳血管性痴呆」「アルツハイマー型痴呆」この両者が混合している「混合型痴呆」の3種類がある。
 「脳血管性痴果」は心臓病や高血圧、動脈硬化などが原因となり、脳梗塞などの発作を契機として発症することが分っているため、ある程度までは予防、治療が可能であるが、「アルツハイマー型痴果」は原因がまだ解明されておらず予防、治療の方法がない。1900年、ドイツの神経科医アロイス・アルツハイマーが51歳の女性の症例を学会に報告して以来、同じような病理学的特徴を持つ痴呆をアルツハイマー病と呼ぶようになった。


 この病気は次の3期に分けられる。
第1期「健忘期」軽い物忘れ・記憶の低下・言葉がすぐに思い浮かばない・まとまりの悪い表現。
第2期「混乱期」時、人、場所についての見当がつかなくなる、見当識障害・多動・攻撃的行動などの異常行動・濫集傾向・顕著な記憶障害。
第3期「痴呆期」知的機能を行う大脳の高次機能消失・無言状態・尿失禁・便失禁。


 この病の病理学的特徴は二つあるそうだ。老人班神経細胞内ではなく、その外の「問質」というところにできるものと神経原線維変化榊経細胞の中にもつれた線維として見える構造である。この二つが増えるとともに、脳の神経細胞が減少し、ついには脳全体が委縮していく。
 海馬記憶の形成や情動をつかさどるの神経紬胞は正常な45歳では1立方センチあたり約8000あり、正常者でも65歳で7000個に減少する。それがこの患者では4500個と少ないそうだ。


 今後の治療方法にについては、この病ではアセチルコリンという神経伝達物質が低下していることが分っているので、これを活性化することで知的機能が上がることは確認されている。しかしこれは根本的な治療にはならないらしく、根本的な治療閲発にはやはり原因を突き止めねばならず、治療法の確立までには当分時間がかかるということだ。