2018.09.29

 

 バトル・オブ・ザ・セクシーズ」 

BATTLE OF THE SEXES

 

 2017/アメリカ・イギリス 

監督:ヴァレリー・ファリス 

主演:エマ・ストーン/スティーヴ・カレル 

 

<概略 公式サイト> 

全米女子テニスチャンピオンのビリー・ジーン・キングは怒りに燃えていた。全米テニス協会が発表した次期大会の女子の優勝賞金が、男子の1/8だったのだ。仲間の選手たちと女子テニス協会を立ち上げるビリー・ジーン。資金もなく不安だらけの船出だったが、著名なジャーナリストで友人のグラディス・ヘルドマンがすぐにスポンサーを見つけ出し、女子だけの選手権の開催が決まる。 

時は1973年、男女平等を訴える運動があちこちで起こっていた。女子テニス協会もその機運に乗り、自分たちでチケットを売り、宣伝活動に励む。トーナメントの初日を快勝で飾ったビリー・ジーンのもとへ、記者会見の前に髪を切ってくれた美容師のマリリンが訪ねてくる。夫のラリーを愛するビリー・ジーンは彼女に惹かれる自分に戸惑うが、ときめきに抗うことはできなかった。 

その夜、かつての世界王者のボビー・リッグスから電話が入り、「対決だ! 男性至上主義のブタ対フェミニスト!」と一方的にまくしたてられる。55歳になって表舞台から遠ざかったボビーは、妻に隠れて賭け事に溺れていたのがバレ、夫婦仲が危機を迎えていた。再び脚光を浴びて、妻の愛も取り戻したいと考えたボビーの名案”が、男対女の戦いだった。 

ビリー・ジーンに断られたボビーは、彼女の一番のライバルであるマーガレット・コートに戦いを申し込む。マーガレットは挑戦を受けるが結果は完敗、ボビーは男が女より優秀だと証明したと息巻くのだった。逃げられない運命だと知ったビリー・ジーンは、挑戦を受ける。その瞬間から、世界中の男女を巻き込む、途方もない戦いが始まった──!

 

 

 面白いかな、との期待を込めて観たのには理由がある。この対戦が実話であることと、1973年のアメリカが舞台だったからだ。

 

1950年、1960年代のアメリカでは労働に従事する既婚女性は増えていったが、1963年当時、女性の平均賃金は男性平均賃金の63%だったようだ。そんな中ベティ・フリーダンが「新しい女性の創造」を出版し男性による女性定義から抜け出し、女性も個人的・職業的なアイデンティティを見つけることを提唱した。 

1966年にはNOW(全米女性機構)が設立された。1970年代初めには女性ジャーナリストを含む数人の女性が「ミズ」誌を創刊する。1972年になるとERA(男女平等憲法修正条項)「法の下での平等が、性別を理由に、米国によって、あるいはいかなる国家によっても否定されたり、剥奪されることがあってはならない」が議会で可決される。そして1973年、最高裁が「ロー対ウェード判決」により女性が妊娠初期に人工妊娠中絶を受ける権利を認めることになる。公民権運動に触発されたであろう女性解放運動はこのような経過で醸成されていった。しかしもう片方では、それまでの価値観を尊重する反フェミニスト団体も設立されている。

 

このような当時の背景がどのように作品に織り込まれているのかな、と言う観点で作品を観たのだった。結論から言うと上記のような背景描写はさほどなかった。純粋に女性に対する差別をスポーツを通し是正させる、と言う強い意志で試合に臨んだ彼女の姿が描かれていた。僕としてはもう少し背景描写が欲しいところではあったが作品としては○の評価となった。予断だが、主演の二人はメークもあるだろうが本人たちとずいぶん似ていた。

 

 

 ロー対ウェード判決(ブリタニカ国際大百科事典より転用)

 

1973年,それまでアメリカ合衆国で違法とされていた妊娠中絶を女性の権利と認め,人工妊娠中絶を不当に規制する州法を違憲とする連邦最高裁判所の判決がくだされた裁判。人工妊娠中絶合法化の契機となった。

1970年テキサス州の連邦地方裁判所で始まった人工妊娠中絶の是非をめぐる裁判で,原告のジェーン・ロー(仮名)は「女性は妊娠を終わらせるかどうかを決定する権利を有し,よって中絶の権利は女性の基本的な権利である」として中絶を禁止する州法は違憲であると主張。これに対してダラス地方検事ヘンリー・ウェードは「中絶を禁止することによって母体と胎児の生命を保護することは州の義務であり,責任である」として中絶を禁止する州法を擁護した。

連邦地方裁判所は「中絶のほとんどのケース(母体の生命保護を目的とする以外の中絶手術)を犯罪とするテキサス州法は,憲法で保障されている女性のプライバシーの権利を侵害している」として「中絶を著しく制限するテキサス州法は違憲である」との判決をくだした。1973年連邦最高裁判所もこの判決を支持。それまで人工妊娠中絶に対して厳しい法規制をしいていたアメリカにおいて,条件つきながらも人工妊娠中絶を初めて容認した画期的な判決であった。

人工妊娠中絶は,その是非や中絶の条件がその後何度も法廷で争われたが,国民の意見の一致にはいたらず,いわゆる「中絶論争」として中絶賛成派(プロチョイス)と反対派(プロライフ)が論争を繰り広げている。