2005年3月12日

 

 

 バッタ軍団から食物を搾取されるアリたちを助けるために、外の世界からやってきた虫たちとアリ軍団との友情物語である「バグズ・ライフ」は、七人(実際の助っ人は、双子のダンゴ虫、ダックとロールを入れて九匹/人―サーカス団長のフリーは除くー)の侍ドタバタ昆虫記とも言えるだろうか。それでも大人の僕が観ることができたのは、"友情、そして勇気と信頼"がテーマとなっていることが大きい。見事にディズニー作品の基本コンセプトにはまった訳である。


 アリの映画で思い出すのは、

 

黒い絨氈」<THE NAKED JUNGLE>

1954/アメリカ、

監督:バイロン・ハスキン、

主演:チャールトン・ヘストン

 

だ。人喰い蟻マラブンタと農園主との戦いが、南米アマゾン川上流の開拓地を舞台に繰り広げられる。今でも印象に残っているのは、小高い山が徐々に真っ黒く覆われていく映像だ。

 一匹のアリに恐怖を抱く人は少ないと思うが、何十億の塊となると話は違う。黒い絨氈のタイトルはまさにぴったりの訳だった。小さな生き物が群れをなし怒涛のように迫ってくる恐怖をこの作品は見事に描いていた。ちなみに原題は、「The Naked Jungle」で、直訳すれば、裸にされたジャングル、つまりアリによって食べ尽くされてしまったジャングルということになる。

 この他にも「ALI アリ」という作品があった。こちらは蟻ではなくモハメド・アリの映画で、蟻は一匹足りとも登場しないのでご注意を。


 ではここでアリの世界を覗いてみる。


 アリは分類学的にみると、ハチ目のアリ科に属す。

 現在17亜科297属、約8,800種のアリが確認されている。アリがハチから進化してきたことは間違いないのだが、その時代を特定するとなると化石に頼らざるを得ない。

 アリの場合は琥珀(松やにの化石)の中にその姿を見ることができる。最古のアリ化石は、ニュージャージー琥珀(中生代白亜紀中期/9,000~11,000万年前)から発見されたアケボノアリだ。アケボノアリは独立した亜科と考えられており他のハチの化石と比較すると、これらの亜科に共通なアリの先祖は、中生代白亜紀前期の約1億2,500万年ほど前にスズメバチの先祖から分かれたと考えられている。発見されたアケボノアリは働きアリの形態をしていて、アリ型の触角を持ち、腹柄と後胸腺が認められるので、少なくとも9,000万年前にはすでに社会性を獲得しアリ特有の形態が完成していたことがわかるという。ここまでの進化に費やした時間は約3,000万年になるそうだ。他に知られている琥珀としては、サハリン琥珀(6,000万年前)、バルト琥珀(4,500万年前)、ドミニカ琥珀(2,000万年前)がある。
 白亜紀の間、アリの仲間は恐竜の足下で細々と暮らしていたようだ。それは琥珀に含まれる昆虫に対するアリの頻度が0.001~0.05%と非常に低いことからわかる。約6,500万年前、恐竜が絶滅し、やがて哺乳類の活躍する新生代になる。恐竜の絶滅と共にアケボノアリも滅んだが、その他のアリは新生代第三紀に爆発的に適応放散を始めた。そのことは、隕石落下から500万年たった新生代最初の暁新世(6,000万年前)のサハリン琥珀に含まれるアリの頻度が、全昆虫の1.2%と大幅に増加していることからわかる。4,500万年前のバルト琥珀からは、現在知られているアリ亜科がほぼ登場し全昆虫に占める割合も20~40%と勢力を拡大している。このようなアリの優勢はドミニカ琥珀(2,000万年前)でも確認され、現在も4大昆虫(カブトムシ、ハエ、チョウ、ハチ・アリ)の一つとして繁栄している。
 アリの寿命をみてみると、女王アリ/雄アリ/働きアリになどの種類で差があるが、クロオオアリやクロヤマアリの女王アリでは、10年~20年。一方雄アリは、卵から孵って1ヵ月で成虫になり、結婚飛行を終えるとそのまま地面に落ちて他のアリやクモなどに食べられてしまう。遺伝的にはメスである働きアリは、成長過程において十分な餌を得ることができず体が貧弱で、かつ女王アリのように翅や卵巣が発達していないため寿命は短く1年~2年である。ちなみに、クロヤマアリの女王アリは一生のうちに10万個ぐらいの卵を産むと考えられている。
 体長をみてみると、日本のアリは1ミリ~ 1.3センチくらいだが、南米のオソレハリアリ、オーストラリアのキバアリ、東南アジアのギガスオオアリなどは3センチにもなる。ドイツのメッセルで発見された4900万年前の化石アリ(メッセルオオカセキアリ)は翅を広げると12センチ~15センチにもなる。
 典型的なアリ社会の家族構成をみてみると、それは一匹の女王アリと数百匹の働きアリから構成されている。もちろん働きアリの数は種によって違うが、少ない種では十匹(クビレハリアリ)、多い種では数万匹(トビイロケアリ)から数十万匹(エゾアカヤマアリ)になる。また、南米に住むグンタイアリは数百万から数千万匹ともいわれている。
 視力はどうだろうか。大概のアリは数センチから数十センチ位までしか見えないようだが、中にはオーストラリアのトビキバアリのように2~3メートル先まで見える種類もいる。
 名前にアリとつくのに実はアリでないのがシロアリ。シロアリはゴキブリやカマキリに近い昆虫で、分類学的にはシロアリ目(等翅目)に分けられる。約4億年前の石炭紀にゴキブリの仲間から進化したと考えられている。主に熱帯圏を中心に7科2,000種程知られており、日本には4科16種が生息。イエシロアリとヤマトシロアリが代表的な種になる。
 

 子供の頃、ファーブル昆虫記を読んで昆虫に興味を持った時代があったことを、このコラムを書きながら思い出した。そこで昔の本を引っ張り出してみた―昭和39年6月5日発行、偕成社「児童世界文学全集23 シートン動物記 白木茂/ファーブル昆虫記 中村浩」―。

 ここで扱われている虫の中には、やはりアリがいた。

 章のタイトルは「ありの遠征」となっており、アカザムライアリが観察されていた。昆虫記の名のとおりで詳細に観察されている。本当に虫が好きでなければ、ここまでの観察は到底できないし続かない。今更ながら、ファーブル(1823-1915)さんの超がつく虫好きに頭が下がる。
 フランスの自然科学者であるファーブルが書いた「昆虫記」(1879-1910)は、全十巻からなる。僕が昔読んだ上述の本は、昆虫記の中から子供たちが興味を示しそうな話を抜粋して構成された本だ。ちなみに昆虫記は、ファーブルさんが55歳の1879年に第1巻がパリで出版され、86歳の1910年に最後の第10巻が出版されている。10巻全部のページは4,000ページに及ぶ大著である。
 ファーブルさんについて調べてみた。
 ファーブルさんは1823年に南フランスのサン・レオンの貧しい農家に生まれた。小学校を出たファーブルさんは師範学校にすすみ小学校の先生となる。そして25歳のとき、中学校の先生となり、このときから植物採集や昆虫観察に熱中するようになる。36歳のときには、 アビニヨンの中学へ転任する。しかしここでの生活も両親や妻と子供7人を養わなくてはならず苦しい生活が続くが、昆虫の研究は続けられ、この研究によりフランスの文部大臣ドュリュイの知ることとなり、優れたフランス人に与えられるジョン・ドウ・ヌール勲章を授与されナポレオン3世との対面も実現する。1871年、公開講座で「雄花と雌花の植物の受精」について女性たちに教えたことが「不道徳」ということで中学教師の職を失ってしまう。以後教職に就くことはなく「科学物語」や「昆虫記」の執筆で生計を営むこととなる。なお「昆虫記」の大部分は、ロース河の川沿いにあるセリニアン村のはずれの古びたアルマスと名付けられた家で執筆されている。アルマスとは、プロヴァンス語で、荒地、という意味がある。そしてこの昆虫記が世界の人々に読まれファーブルの名は一躍世界を駆け巡ることとなった