2010年5月5日

 

オープンウォーター2

<OPEN WATER 2: ADRIFT>

2006/ドイツ 

監督:ハンス・ホーン

 

のようなヨットクルーズの経験がないので定かではないが、梯子を下ろし忘れ全員が海に飛び込むことなどあり得るのだろうか?というのが、この作品を観始めて最初に思った疑問だった。しかし、シーンが進むうちに、そんな些細なことはどうでもよくなってきた。ありそうであり得ないことが、とにかく進行している。しかも、やけにリアルに。それぞれの登場人物の演出に派手さがなく、どこにでもいるような普通の人々として描かれているため、リアル感が100%となったのだろう。


 僕は第1作目の「オープン・ウォーター」も観ている。2作目も同様な結末だろうと観る前から予想をしていたのだが、今回は、1作目とは違っていたので正直ホッとした。というのも、主人公の彼女が荒れ果てた海に飛び込むシーンは、見事な伏線からのシーンであり、彼女の幼少期への決別と新たな出発、という意味が込められていただけに、この結末でなければ僕は納得しなかっただろう。それにしても、目の前にあるヨットに上がることができずに時間だけが虚しく過ぎていくとうのは、もし、現実に起きたとしたらとてつもなく恐怖を感じるだろう。初めのうちは体力も気力もあり、いろいろと上がるためのアイデアが浮かび行動にも移せるだろうが、30分が経ち、1時間、3時間、6時間と時間が経ち、そのうち陽が落ち辺り一面が暗くなり、そこにスコールがくる。徐々に恐怖感が高まっていくさまは、さながらヒッチコック作品だ。
 

 登場する6人の行動は、ヨット上と海中では違ってくる。恐怖に、あるいは岐路に立たされたときに、人間の本性は出る。まさにこの作品でも、パニックもののお手本のように彼らの本性が露骨に映し出されている。
 

 パニックものの作品で最後に助かる人は、冷静沈着に状況分析を行うことができ、かつ、行動に移すことができる人、という典型的なヒーロー/ヒロインタイプ、あるいはコツコツタイプ。助かる人の別パターンとしては、そのようなヒーロー/ヒロインに文句をいいながらもついていき、生き残らなくてもいいのに助かってしまう、憎まれ役で性格が悪い人。このタイプは、憎まれっ子世に憚るといわれるように、パニック作品の中では必ずいるタイプ。しかも、彼に追随する人たちがいる。
 

 話がずれたが、「オープンウォーター2」では、最後までまともな人は、6人中3人で50%だった。まともな3人がいても、いったん梯子のない海に放り出されたら、如何ともし難い結果が待っていたというのが、この作品なのだが、実際、同じような状況になったとしたら、やはり、有効な手立てはないのだろうか。海面から甲板まで2メートル弱であることを考えると、シンクロナイズドスイミング式に、誰かの肩でも頭でもいいのでそれを足場にして飛び跳ねれば、何とかなるのでは、というのも観ていて思ったこと。とにかく助かるためにはどんな状況下でもパニックにならないことと、諦めないことが必須条件になるようだ。たとえ、その状況下に憎まれ役で性格が悪い人がいたとしても。