2009年9月17日

 

 

11:14」<11:14>

2003/アメリカ・カナダ 

監督:グレッグ・マルクス 

主演:ヒラリー・スワンク/パトリック・スウェイジ

 

バンテージ・ポイント」<VANTAGE POINT>

2006/アメリカ 

監督:ピート・トラヴィス 

主演:デニス・クエイド/フォレスト・ウィッテカ

 

を観て、かつて田原総一郎氏が語っていたことを思い出した。


 東大安田講堂事件(1969年1月18日から1月19日に、全共闘が占拠していた東京大学本郷キャンパスを警視庁が封鎖解除を行った事件)当時、テレビカメラマンだった田原氏は、その映像を収めるべく現場にいたが、そこでの客観報道の大切さを感じたという。
 東大安田講堂事件は学生と警察の攻防であるが、カメラの位置を学生の背後に置いた映像を撮れば、視聴者には学生に向かってくる警察による武力弾圧としての印象を与えることになる。一方で、警察の背後からの映像を映せば、警察に向かってくる学生による暴動との印象は免れない。結論としては、カメラは双方の中間地点に置かれ客観映像が流されたということだ。
 同じ時を過ごしていても、その時をどこで迎えるかにより、それぞれの人により目撃されるできごとや映像はまったく異なるものとなる。限りなく無限に近い異なった映像が日々刻々と多くの人々により目撃されている、ということになる。
 今回取り上げる両作品は、同時刻であるにもかかわらず、それぞれの場所により見ているもの、起きている事象が異なることが視聴者に示される。最終的には個々の登場人物が一見無関係であるように思われながらも、最後には全員がなんらかの接点により関連してくるという作品だ。無関係と思われる、ばらばらのものが見事に収斂されていく脚本はすばらしいの一言に尽きる。
 「11:14」では、ある死体がすべてを結びつけることになる。「バンテージ・ポイント」は、米大統領が狙撃された瞬間とその前後が、性別・国籍・職業全てが異なる8人の視点によって描かれる。ただ、この作品についてひとつ難点を挙げれば、最後まで8人全員の視点が個々に描かれなかったことだ。物語を終局へ導くためには、仕方なかったのだろうが、やはり全員の異なった視点でラストまで持っていってほしかった。
 このタイプの作品には、以前のコラムでも取り上げた「12日の木曜日」があるが、より完璧という点では、3作品の中では「11:14」に僕は軍配を上げる。
 
 このコラムは9月17日に書いているが、この日にどんなことが世界で起こっていたのかを見て今回は終わりとする(参照:ウィキペディア)。

1631年:三十年戦争: ブライテンフェルトの戦い
1862年:南北戦争: アンティータムの戦い
1894年:日清戦争: 黄海海戦
1945年:枕崎台風上陸
1952年:明神礁出現
1964年:東京モノレール開業
1968年:江夏豊、王貞治から日本記録となる354個目の奪三振を記録
1982年:上海の空港で、日本航空のDC-8型機が着陸後にオーバーラン
1988年:第24回夏季オリンピック、ソウルオリンピック大会開催
1991年:韓国と北朝鮮が国際連合に同時加盟
     エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国も国連に加盟
1996年:ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄、対ロッキーズ戦でノーヒット・ノーラン
2002年:日本国の小泉純一郎首相が訪朝。金正日総書記,、拉致事件を認める
2004年:日本プロ野球選手会がプロ野球史上初のストライキ決行を発表
2006年:スウェーデン議会の総選挙にて、中道右派連合が勝利