クーデター 

NO ESCAPE

 

2015/アメリカ

監督:ジョン・エリック・ドゥードル

主演:オーウェン・ウィルソン

 

<概要 amazon

東南アジアのとある国に、支援事業のため妻と娘を伴い赴任したジャック(O・ウィルソン)

しかし翌朝、突如として「外国人を殺す。捕虜はとらない。皆殺しだ」の怒号が響き渡り、

政府と外国人をターゲットとしたクーデターが勃発。暴徒による容赦なき殺戮が開始され、外国人は次々と殺されていく―

滞在ホテルを襲撃されたジャックは、迫り来る暴徒から妻子を守るため奔走し現地で出会ったハモンド(P・ブロスナン)の先導で間一髪逃げ延びるが、その先で絶望的な現実を突きつけられる―理由も分からず標的となり、極限状況下で次々に迫られる究極の選択―

果たして彼らは、国境を越え逃げ切ることはできるのか?

 

 個人的なことになるが、僕のタイ、ラオス駐在通算期間は11年を超えた。NGOも踏まえたアジアとの関わりを加味すると15年を超える。幸いなことに駐在期間中、この作品のような大規模クーデターを経験することはなかった。

クーデターの標的が外国人の場合、余程のコネクションがない限り、一般外国人が安全な逃走ルートを確保することは難しいだろう。パッと考えただけでも言葉、土地勘、慣習の知識、金銭、人脈、武器などの課題が多くあるからだ。

突然クーデターが起きた場合、即座の対応が求められるが、外国人個人で上記のような事項に対応することは、常日頃から、それを想定し準備を完了していない限り即座の対応はほぼ不可能だろう。

 

主人公は妻と2人の子供たちを守りながら逃げなければならないのだが、手助けをしてくれる外国人と彼の友人がいる。これは映画であるため助っ人が登場するのだが、実際はどうであろうか。作品のようにいかない可能性は極めて高いと考えるのが普通だろう。

主人公の妻は戦うことができる強い女性であり、諦めない、屈しない女性として描かれているのだが、そうでなければこの逃走劇は成立していなかった。なぜこの女性は強かったのか。強さの源はどこにあるのか。それは、母だったから、の一言に尽きる。何が何でも子供を守り切る、という強い母の意志が、屈しない、諦めない、という強い心を引き出していた。

緊迫した中での一家の国境越えをスクリーンで確認したとき、僕はまるで自分のことのように歓喜してしまったのだが、それは、自分の家族をこの家族に重ねていたからだった。作品を観終え思ったことは、かつての駐在期間中、このようなことに遭遇しなくて本当によかった、だった。もし巻き込まれていたら、と想像しただけで背筋に寒気を感じる自分がそこにいた。

 

アジアを舞台にした外国人がクーデターに巻き込まれる他の作品に、「ラングーンを越えて」があるが、この作品もいい作品だった。