2012年3月28日

 

 以前のコラムで、30名が犠牲になった実話「ブリタニック」について触れたことがある。


~第一次世界大戦中、ブリタニック号は病院船としてイギリスからギリシアに向かって出航するのだが、1916年11月21日、病院船としての5回目の航海中にエーゲ海沖でドイツ軍の機雷に触れ沈没してしまう。作品は船内にドイツのスパイが潜んでいるという構成で、スパイと女性捜査官の結ばれぬ恋愛が織り込まれていた~

 

 今回は、第二次世界大戦末期、これまでの海難事故では史上最悪の犠牲者を出した実話

 

シップ・オブ・ノーリターン ~グストロフ号の悲劇~

<DIE GUSTLOFF> 2008/ドイツ 

監督:ヨゼフ・フィルスマイアー 

主演:カイ・ヴィージンガー/ヴァレリー・ニーハウス)

 

を取り上げる。

 1945年1月30日、ヴィルヘルム・グストロフ号はゴーテンハーフェン(現ポーランドのグディニャ)の港から乗組員、第2潜水艦訓練部隊の海軍軍人、海軍女性補助員、傷病兵、難民、総勢10,582人(8,956名は難民で、ほとんどどが女性・子供)を乗せて出航後、ソ連海軍の潜水艦に撃沈された。
犠牲者が9,343人という最悪の海難事故だった。

 歴史に"もし"を言っても仕方ないのだが、いくつかの
"もし"があれば、この悲劇の度合いは変わっていたに違いない。
・赤色と緑色の航海灯を点灯しなければ・・・
・無線機が使用できていたらなら・・・
・バルト海の水温がマイナス10度~マイナス16度まで下がらずに、通常温度の摂氏 4度であったなら…
・救命ボートや胴衣がもっとたくさんあったなら・・・

 作品では、航海灯を点けるよう指示する海軍司令官ヨハンセン・Uボート訓練指揮官ペトレ少佐と、潜水艦に狙われる恐れがあり点灯を拒否する民間人船長ヘムットとの緊迫したやりとり、ヘムットと恋人エリカの生死、ヘムットと兄ハロルドの確執と兄弟愛、難民親子(リリーとカリー)とマリアンヌの救出劇などが、撃沈されるにいたる経緯と共に描かれており、見応えある構成になっている。

 作品最後のテロップに次の文字が流れ幕は閉じる。( )は僕が追記。
~1945年の5月までヘムットは約5万人を非難させた。1945年の夏、エリカと結婚。ハロルド(兄のハロルドではなく、撃沈時に生まれたマリアンヌの赤ちゃん)を養子に迎える。ヨハンセン司令官は聴聞会なしで解雇。Uボート訓練指揮官ペトレ少佐は直接の責任を問われなかった。シュテッティンの戦いを生き延びたカリーは戦争捕虜になるが脱走してスウェーデンへ逃亡。犠牲者は9千人以上。ほとんど女子供だった。公式な調査は一度も行われていない。これは事実に基づく物語である~

 戦時下であるためグストロフ号の撃沈後もドイツ避難民輸送では、2月10日に客船シュトイベン、4月16日に客船ゴヤがソ連潜水艦の雷撃を受けて沈没し、1945年5月3日には、「カップ・アルコナ」が英空軍の空襲により沈没している。
 1945年4月はじめまでに、ドイツ海軍は東プロイセンからドイツ西部への250万人の軍民を避難させることに成功するが、その過程で33,000人の難民や軍人が亡くなっている。

 最後に第一次・第二次世界大戦時に起きた悲劇を記しておく。

◆第一次世界大戦時

・1915年5月7日
英国船籍客船「ルシタニア号」がUボートの雷撃で沈没。米国人を含む1198人が死亡。

・1916年11月21日
イギリス軍に病院船として徴用された客船「ブリタニック」がドイツ軍の機雷に触れ沈没。死者30名。

・1917年12月6日
カナダのハリファックス港で軍用火薬を積んだ船と貨物船が衝突して大爆発を起こした。
両船だけでなく付近にいた船を巻き込み、ハリファックス市街に重大な被害をもたらす大災害となった。

・1918年5月12日
イギリス軍に輸送船として徴用された客船「オリンピック」が「U-33」の雷撃を受けたものの、「オリンピック」は発射された魚雷をかわして体当たりによる逆襲を敢行、「オリンピック」に体当たりされされた「U-33」が沈没した。

第二次世界大戦時

・1943年3月19日
大阪商船貨客船「高千穂丸」、米潜水艦の雷撃により沈没。乗客844名が死亡。

・1944年8月22日
沖縄からの児童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の雷撃により沈没。疎開児童708名を含む1484名が 死亡。3隻の疎開船団(「暁空丸」、「和浦丸」、「対馬丸」)の唯一の犠牲。また、沖縄方面からの 疎開船(延べ187隻)の中で、唯一撃沈されてしまった船でもある。

・1944年9月18日
捕虜交換船「順陽丸」英潜水艦の雷撃により沈没。連合国軍の捕虜など約5620名が死亡。

・1945年1月30日
バルト海にてソ連潜水艦の雷撃によりドイツ客船「ヴィルヘルム・グストロフ」が沈没し9343名が死亡。

・945年2月10日
ドイツ客船「シュトイベン」がソ連潜水艦の雷撃により沈没し4500名が死亡。

・1945年4月1日
安全航行を保障されていた緑十字船「阿波丸」が台湾海峡にて米潜水艦により撃沈され、乗客2000名以上が死亡。「阿波丸」は協定に違反して戦略物資を積み込んでいたことが明らかになって いる。

・1945年4月16日
ドイツ客船「ゴヤ」がソ連潜水艦の雷撃により沈没し6666名が死亡。

・1945年5月3日
ドイツ客船「カップ・アルコナ」が英空軍の空襲により沈没し5594名が死亡。強制収容所の収容者が多く犠牲となった。

・1945年7月29日
米重巡洋艦「インディアナポリス」が日本潜水艦伊58の雷撃により沈没。
米海軍は同艦沈没の事実を人為的ミスによって丸四日間気付かず、乗員1196人中、880名が死亡。同艦は広島へ投下された原子爆弾の輸送任務を終えた直後だった。生き残ったマクヴェイ艦長は軍法会議にかけられ有罪となり1968年に自殺。

・1945年8月22日
樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」・「第二新興丸」・「泰東丸」が停船命令に従わず、ソ連潜水艦 (L-12、L-19)の雷撃・砲撃を受け小笠原丸と泰東丸が沈没、第二新興丸が大破。1700名以上が死亡。犠牲者の大半は民間人だったという。なお、第二新興丸の反撃により、ソ連潜水艦も1隻(L-19)が沈没。