2016-7

 

先日、土日を利用してサワンナケートから250キロ南に位置するパクセーにKHさんと行ってきた。

 

我友人であるラオス人のKHさんとの出会いは2012年秋だった。

僕は縁あって日本の教育NGOに事務局長として3年間勤務した。入社してすぐ、タイ・ラオスへの40日間の出張があり、そのとき初めてラオスNGOの所長である彼と仕事を共にした。以来、いい関係が続いている。

この出張の時、サワンナケート県、カムワン県を初めて訪れた。

 

3月1日、すでに彼はNGOの仕事でカムワン県の貧困地域に入っており、3日にはそこから我が街のあるサワンナケートに入ってきた。

 

ところで、サワンナケートまでは彼が住むビエンチャンから片道550キロ、往復1,100キロの道のりと遠い。

 

ちなみに僕が勤務していたNGOの支援地域は、カムワン、サワンナケート、サラワン、セコーンの4地域になる。

 

3日、4日の木金曜日は我が家に泊まり、土曜日の朝6時にはパクセーに向けて車を出発させた。彼との会話はすべて英語だ。もともとの職業が医師のため、英語はペラペラで、かつ、フランス語も操る秀才だ。

 

車は順調に走り続けパクセ空港で休憩を取る。

さらに走らせ彼お勧めの場所で朝食を摂ることにした。

その後、パクセの街に入り車で街を散策した。サワンナケートよりは広く人も多い。また多くの飲食店や自営業の店が目に付いた。市場もあったが、ここは帰りに寄ることにし、1時間ほどして次の目的地に向かった。

 

街から1時間ばかり行ったところに最初の目的地であるパースワムの滝・民族村に到着した。滞在時間は40分ほど。民俗村では少数民族のたたずまいがあり、そこで織物や楽器を作る光景をみることができた。

おじいさんがウクレレのような楽器で1曲弾いてくれた。思ったより音は太くクリアで勢いよく青空に響いていた。しかし、この観光地の印象はというと、日本の小さな滝のある、かつ、地場産業品を販売している、いわゆる観光地のイメージと変わりはない、だった。

 

次に向かったのがタート・ファーンの滝だ。

 

ここでは昼食を摂りゆっくりとくつろぎたかったので、2時間くらいの滞在となる。

日陰にはいると涼しい風が心地よい。

また滝の流れる重く静かだが静寂を破るような力強い音が、なんとも気落ちを平穏にしてくれる。

昼食はカオパットを注文した。

味はごく普通だが、とても美味しく感じたのは自然環境と解放感の賜物だろう。

しばしこの風景を見ながら頭の中を空にし、喧噪の世界との別れを告げる。

  

この日はこれで観光終了となる。

さて、どこに泊まろうか。宿は予約していないので自由に決められる。結局、パクセの街に戻り宿を探すことにした。僕はというと市場に寄りたかったので彼とは別行動を取り市場を歩き回ったが、サワンナケートの市場とさほど変わらず、なんとも拍子抜けだった。もう少し何かが違っていると楽しめたのだが。 

 

ホテルは市場から徒歩3分の場所に決めた。

1時間ほど部屋でくつろぎシャワーを浴びた後、ロビーで待ち合わせをしそのままメコン川沿いにあるレストラン?に行き、食事とビールを堪能した。

 

座っている席からは、スポットライトに照らされ金色に輝いているサラオ山のゴールデンブッダ像がなんとも怪しげで美しかった。

 

この日のお客は、ラオス人はもちろん、日本人、韓国人、ベトナム人、フランス人、スペイン人、そしてどこの国かわからないヨーロッパ人たちが会話とメコン川の夕日を楽しんでいた。

21時にはこの店を出て、パクセホテルの最上階にあるレストランで飲み直すことにした。夜景がきれいでその美しさがビールの味にさらに磨きをかけてくれた。23時にはお開きにしこの日は終了した。

 

翌日は7時にホテルを経ちサワンナケートに向かうことにした。その途中で、地元の焼酎を1KIPで購入。なんとも強い匂いだ。 

 

11時には自宅に到着し手料理でKHさんにブランチを振る舞い、12時にKHさんは我が家を出発した。

1830、ビエンチャンの自宅に無事到着のメールが入りひと安心し、購入した焼酎を飲んだ。度数は相当強そうだ。40度くらいだろうか。だがクセはないので飲みやすい。水割りで美味しくいただいた。

 

2日間にわたる自宅から自宅までの走行距離は620キロだった。せわしない2日間だったが非常に満足度の高い時間を過ごすことができた。友人の惜しみない協力にただただ感謝だ。 

 

発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。

新しい目で見ることなのだ。

 

  マルセル・ブルースト(フランスの作家) 

 

8回目