2016-8

 

番外編 ~ベトナム・ホーチミン~  2016/04/10-04/16

 

49日(土)19時、ベトナム・ホーチミンに行くことを決めた。

 

 さっそくnok airwebサイトでバンコクまでのエアチケットを購入しようと思ったら、障害が発生しており、結局購入できたのは23時過ぎ。この航空券が購入できないとバンコクに行けないため、バンコクから先の航空券、ホテルの予約も取ることができない。

 とにかくバンコク行きが確定したため、次はバンコク⇔ホーチミンの往復チケットの予約だ。これにホテルも付け最終的に予約を確定したのが次の日の10日、そう出発日になっていた。

 ホーチミンのことは何も調べていなかったため、2430分を過ぎてからホーチミンの観光について調べ始めた。それから1時間後には行きたいところが決まったので、この日は就寝。

 我が家からバンコクに行くためには、まず、ラオスのイミグレーションに行く必要がある。車で15分の距離だ。ベトナム行きを決めたのは既述の通り9日の19時。ただし、この時点ではチケットがとれるかどうかもわからなかったが、とりあえず、突然お隣さんにお邪魔し、翌日イミグレーションまで連れてってくれるよう頼んだ。もちろん、即答でOK。日ごろの楽しいお付き合いがそのまま続くこの環境に、感謝、感謝。

 翌日は午前7時にお隣さんにお邪魔し、そこからバイクに乗せてもらい無事ラオスイミグレーションに到着。

 

 ベトナムまでの経路は次の通りだ。

 

我が家→ラオスイミグレーション(出国)→タイイミグレーション(入国)→タイ・ナコンパノム空港(車で100分)→バンコク(飛行機で70分)→ベトナム・ホーチミン(飛行機で90分)

 

 今回はバンコクで一泊し、昔のタイ人スタッフたちと楽しいひと時を過ごした。翌日、9時半にはホーチミン空港に到着。 

  

とにかくバイクが多い、半端な数でない。バンコクも多いと思っていたがその10倍は走っている感じだ。マナーも悪く車もバイクも我が道をこれでもか!と突き進む。 

 ホテル到着後は、戦争証跡博物館(実際に使用された兵器や写真など、ベトナム戦争に関する展示が豊富な博物館)、サイゴン教会(19世紀末に建てられた赤レンガづくりの「聖母マリア教会」)、中央郵便局(19世紀末に建てられた建築文化財として有名な郵便局)、ベンタン市場(ホーチミン市最大の市場)、スカイタワーを訪れ、この日は終了。

 戦争博物館に飾られている写真の数々は見る価値がある。ここでは少し時間を多く取った方がいい。

 

 2日目は、教会とも仏教寺院とも違う雰囲気のカオダイ教寺院とクチトンネル(ホーチミンから北西へ約50km。昔ベトナム戦争時代に米軍を翻弄したといわれる巨大なトンネル。クチトンネルは25年間の年月を注ぎ築かれ、全長は250km)へ行ってきた。

 寺院で信者たちが礼拝しているさまは圧巻の一言で、かつ、実に荘厳だった。クチトンネルでは、実際のトンネルに入り探検気分を味わったと同時に、ベトナム兵士たちは狭いこの中を行き来しアメリカ軍と戦ったのかと驚かされ、また同時に、よく勝ったものだ、との思いを持った。

 

 

3日目は、メコン川デルタクルーズだ。

 

ホーチミン中心から2時間ほど離れた場所にあるヤシの生い茂る緑あふれる川を手漕ぎボートに乗りゆっくりと川を下る。可もなく不可もなく、という感じだった。

 

 

最終日の4日目は、ホーチミン市から約60km離れた場所にある、広大な湿地帯に広がるマングローブ林に行くカンザーツアー(アジア最大級のマングローブ林はベトナム戦争期、ベトコンキャンプの拠点でもあり、 1970年代の米軍による枯葉剤の散布によって一度砂漠化した場所。植林により、75000ヘクタールの広さに約30種類のマングローブが生育したという見事な復活を遂げた)に参加した。

 ベトコンキャンプが再現されており、自然で満ち満ちているマングローブ林をモーターボートで進むあの感覚はなかなか楽しめた。

また、最後に寄ったのがリゾート地で、そこでの2時間はのんびりまったりの時間となった。

 

 初ホーチミンは短期間の滞在だったため表層しか見ることができなかったが、そんな中での印象は、クラクションが一日中鳴り止まない喧噪の都市、貧富の格差が激しい都市、そして、自分本位の人が多い都市、だった。

 

 まったりしたのどかなサワナケートに戻り、今このベトナム訪問記を書いているのだが、どこかほっとした自分がいることに気が付いた。喧噪の街よりものどかな街の方が僕にはあっているのかもしれない。

 

 

9回目