20回目 2017.09.24 

 

早いもので、ここサワナケートでの生活も今年の11月で3年目に入る。振り返ってみると当初の頃の生活と大きく変わっているところがない。

 

 今も休日の過ごし方といえば、釣り、ゴルフ、映画鑑賞、タイ・ムクダハンへの買出し・散髪・観光地訪問が主になっている。また、平日夕方からのスタッフたちとの飲み会も続いている。ビールと野菜を買う店も変わらない。また、帰宅途中に寄るレストランもほぼ同じで、無駄話をしてしまうほどの常連になっている。

 ラオス駐在以降で複数日宿泊した遠距離場所は、ラオスの首都ビエンチャン、ラオス南部のパクセ、タイの首都バンコク、出張を含めての日本、そしてベトナムだった。 

 

 今回は番外編としてバンコクのある突発的宿泊を題材にする。

 

 25年前、僕はバンコクに家族とともに6年駐在していた。また、教育NGOでもバンコクはたびたび訪れていたこともあり、バンコクはそれなりに熟知している。もちろん病院もだ。

 サワナケートで左脇下に大きなしこりがあることに気づいてから痛みが襲うまで、さして時間はかからなかった。サワナケートには僕ら外国人が安心して掛かることができる病院がないためバンコクに行くしかない。

  大きなしこりと痛み、このとき僕がまず疑ったのはガンだった。痛みが激しくなってきたため、すぐにバンコクに飛んだ。ただこのときは、検査して良い結果が出るだろうと勝手に思い込み宿泊は最長でも2泊と考えていた。

 バンコクのホテルに着きすぐにその足で総合病院に向かった。到着したのは1530だった。順番を待ち必要な検査を受け結果が出たのは1830。ガンでないことを告げられひと安心していると医師から病名が告げられた。感染症だった。脇の下の皮膚から、原因はわからないが何らかの菌が入り込んだのだろう、いうことだった。

 僕は抗生剤をもらえばそれで終わりと思っていたのだが、医師から選択を迫られた。しこりを切除するかしないか、だった。医師の説明では、抗生剤が効くこともあるが効かないこともある。一時は症状が治まっても体の免疫力が落ちてしまえば、このしこりが再発する可能性が高いため切除を薦められたのだった。説明を受けての僕の選択は切除だった。

 1930から切除手術を行い20時過ぎに手術が完了した。しばらくベッドに横になり会計を済ますことができたのは2030過ぎだった。それまで夕食を採ることができなかったため、帰り道で日本のラーメンを食べホテルに戻った。 

 次の日から8日間の通院が始まった。切った箇所の消毒で時間にして20分だった。毎日通っていたため、看護師さんたちとはすっかりお友達になっていた。なんと気楽な病院通いだったことか。

 僕が通っていたのは1972年に開業したBangkok Hospital だ。現在は東南アジア地区において最も大きい私立病院の一つ。世界でも最先端の治療を提供する医療機関の一つであり、毎日2,500人を超える患者が来院する。80検査室、ベッド数は550床を超え、病院には20を超える専門科があるという、いわゆる総合大病院だ。

 概観も立派だが院内もすごい。吹き抜けのロビーはホテルと見間違えてしまうほどだ。ファストフードやレストランはもちろん、ブランド化粧品ショップも入っている。1階ではピアノの生演奏が行われている。診察待合室もさながらホテルのロビーを思わせるほど広く、ゆったりとしている。日本の総合病院とは大違い。また病院に休みはなく365日稼動しているから、これまたすごい。

 今回は通院だった。興味としては入院もいいか、などと思ったりもするが、やはり、そうもいかないので病院レポートはこれが限界。しかし、日本人の僕からすれば本当に病院とは思えないものすごい病院だった。

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